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無医村の故郷(山形県大井沢)で地域医療に生涯を捧げた女医:志田周子(しだ ちかこ)


志田周子は、こんな人 Biography

 志田 周子(しだ ちかこ)略歴山形県立図書館文献目録:人物編より)

志田周子

医師、歌人。
明治43.10.28−昭和37.7.18(1910−1962)

周子は明治43年(1910)10月28日、志田荘次郎の長女として西村山郡左沢町(現大江町左沢)に生まれた。
志田家は大井沢きっての名家で、父荘次郎は当時左沢尋常高等小学校訓導をしていたが、大正3年(1914)大井沢小学校校長となり一家は大井沢に帰郷、その後、大井沢村(現西川町)村長となっている。


志田荘次郎荘次郎は、長女周子にとっては、単に父親というばかりでなく、彼女の人生行路を変えた決定的な存在だった。
荘次郎の母りんは、三番目のお産の時、難産の末、わずか23歳の若さで世を去ったが、大井沢は無医村のため、隣村から医者が着いたときには手遅れだった。
校長や村長としてばかりでなく、個人的にも無医村の悲劇の経験をもつ荘次郎は、利発な周子を見て、早くから医者にしようと考えたらしい。


東京女子医学専門学校時代(右から2人目)周子の学業成績は抜群で小学校を卒業した後の大正13年(1924)、県立山形第一高等女学校(現山形西高)に入学、そこでも成績は良かった。周子は女子高等師範に入る希望を持っていたが、父の喜ぶ道をとろうと決心し、東京女子医専(現東京女子医大)へ進学し、父の志を継ぎ辺地医療に献身することになる。

東京女子医専を卒業、2年間の附属病院での医局勤務後、父の願いもあり昭和10年(1935)、大井沢診療所医として帰郷、同時に大井沢学校の校医に就任する。


診療所で保健文化賞を手にする志田周子その活動に対して昭和17年(1942)には山形県医師会から、昭和31年(1956)には県知事・県教育委員会からそれぞれ表彰され、さらに昭和34年(1959)には、保健分野の最高賞といわれる保健文化賞(第11回)を東北で初めて受けている。

婦人会長、村議・町議など多くの役職を兼任しつつ、母せい亡き後幼い弟妹を育てる傍ら、結城哀草果に師事し、歌誌「赤光」に拠って作歌に励んだ。


志田周子歌碑昭和37年(1962)1月、食道ガンで初入院。経過は悪化の一途をたどり、7月18日死去した。51歳だった。

没後、貴徳を偲ぶ人々によって『志田周子歌集』が刊行され、「西山にオリオン星座かかるをみつつ患家に急ぐ雪路を踏みて」の歌を刻んだ歌碑が大井沢小学校を一望する台地に建てられた。

(『山形の人1』、『山形新人国記 下』などによる)


 志田 周子(しだ ちかこ)年譜

 年号 月日 年齢 記事
明治43年 10.28 0 西村山郡左沢町に生まれる
大正 3年 3.31 3 父荘次郎が大井沢小学校校長に栄進し、大井沢に移住
大正 6年 4. 6 大井沢尋常小学校入学 
大正12年 3.  12 大井沢尋常小学校卒業
大正13年 4. 13 山形第一女学校(現 山形西高等学校)入学
昭和3年 3. 17 山形第一女学校(現 山形西高等学校)卒業
4. 東京女子医学専門学校(現 東京女子医科大学)入学
昭和8年 3.22 22 東京女子医学専門学校(現 東京女子医科大学)卒業
4.6 22 医師免許取得、付属病院医局勤務
昭和10年 7.1 24 大井沢診療所医、村医、学校医となる(土蔵に仮設の診療所を設ける)
昭和11年 1.5 25 新診療所での診察が始まる
昭和13年 2.8 27 母せい死去
昭和14年 4.1 28 大井沢夫人会長に就任( 爾来20年間)
昭和17年 9.27 31 西村山郡医師会(県医師会西村山渋)より表彰 
12.10 32 山形県医師会より表彰
昭和20年 3.21 34 弟惣次郎戦死(一年後に公報入る)
昭和21年 4.1 35 郡連合青年団参与
11.1 36 県民生委員就任
昭和22年 4.30 大井沢村議会議員当選 
昭和23年 9.1 37 大井沢村国保運営協議会委員となる
昭和25年 2.10 39 父荘次郎死去
昭和26年 4.23 40 大井沢村議会議員に再選
昭和29年 9. 43 大井沢中学校教諭室岡夫妻長女由里を生後2か月より昼間預かり愛育する
10.1 町村合併により西川町議会議員となる
昭和30年 6.10 44 町国保運営協議会委員、町民生委員推選委員、町社会教育委員に任命される
昭和31年 6. 45 NHK宮田輝訪問「僻地に生きて二十年 ーある女医の一生ー 」放送
10.27 45 県学校保健連合会より表彰される
11.3 46 県教育委員会より表彰される
県知事より表彰される
昭和32年 3.16 46 県社会保険協会より感謝状を受ける
3.21 NHKラジオ特別番組「僻地に生きる」を放送
4.25 県医師会より表彰される
8.23 県公衆衛生大会において表彰される
昭和33年 7.18 47 村山地方町村議会議長会より表彰
昭和34年 9.15 48 第11回保健文化賞受賞
昭和35年 4. 49 室岡先生の転任に伴い、由里が山形へ
昭和36年 10.1 50 県人権擁護委員に任命される
昭和37年 5.1 51 がんを患い県立山形病院内科に入院
5.11 東北大学医学部付属病院に一時移る
5.23 山形病院から桂外科に転院
7.18 午後5時40分永眠

NEW 募金合計 2016年1月末現在
38,969,201円
ご協力に感謝申し上げます。
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志田周子資源活用化実行委員会事務局

〒990-0703
山形県西村山郡西川町大字間沢280
交流センターあいべ内
西川町教育委員会生涯学習課内 
TEL 0237-74-3131
FAX 0237-74-3219
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