志田先生の生涯は、大井沢地区の歴史を振り返る時、なくてはならない存在です。無医村地区であった大井沢の人々の命を守り続けるとともに、青年団役員や婦人会長、村議会議員(合併後は町議会議員)を務め、地域の振興にも努力し、さらに、歌人 結城 哀草果(ゆうき あいそうか)に師事し、優れた歌を残し、地域の芸術文化振興にも寄与しました。また、当時の大井沢地区では、大井沢小中学校と地域が一体となって、全国に先駆けて自然学習活動を展開し始め、その後の教育界に大きな影響を与えた自然教育モデル「かもしか学園」を確立していく時期でした。校医として、その活動を底辺から支えてきたのも志田先生でした。志田先生のご尽力があればこそ、現在の大井沢地区があると言っても過言ではありません。
私自身、志田先生との交流の思い出があります。確か5歳の頃の記憶ですが、4歳上の姉が盲腸手術をすることになり、志田先生に執刀していただきました。その時に、いろいろとお話をいただいたことが鮮明に記憶に残っています。その時期は、先生が亡くなる3年前ぐらいで、その手術が、先生の最後の手術になったと後で聞きました。また、先生は、私の父と同級生であり、母の生家と近所であり、叔母は自分の娘(従妹)に先生と同じ名を付け、(周子:しゅうこ)と名乗らせるぐらい、一家挙げて親しくお付き合いをさせていただくとともに、家族、親族全員がその言動に敬服していました。
現代においても地域医療のあり方や医師確保対策は大きな課題であり、女性の社会進出のあり方も今日の社会的テーマでもあります。“志田周子”という一人の女医、女性の生き方を現代に照らし合わせてみると、何とその存在や生き方が輝いてくることか・・・・・。志田先生の生涯自体が、地域の宝、町の宝、山形県の宝、ひいては現在の社会を照らす宝と思えてくるのです。また、混迷を深める社会の中で、地方の存続が問われている現在、地方から中央に向けて“地域の宝情報”を発信し、地方の活性化を図り、地方の存在感を強めていくことは大変有意義なことと考えています。その想いの下に、志田周子先生の生涯を銀幕に甦らせようとするプロジェクトが立ち上がったのです。
この映画化プロジェクトは、地域づくり型、町おこし型プロジェクトです。そのためには、町内外を問わず、より多くの方々のご支援とご協力が欠かせません。そのネットワークが広がりつつある手応えを確かに感じつつあります。ぜひ、このプロジェクトにご参加いただきますことを、多くの方々にお願い申し上げます。
やまがたの宝「志田周子」資源活用化実行委員会委員長
大井沢区長 佐藤耕二